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2010/07/28

あれこれ

 桑田佳祐が食道ガンだと発表され、こりゃあ何か書かなくちゃと思ったら、千葉景子法務大臣が死刑執行命令書にサインし、本日民主党政権初の死刑が執行された。

 そもそも死刑廃止論者を法務大臣に任命するのもいかがなものかという事はさておき、自分の主義主張はともかく、職責は職責だということを、本当の意図は違うかもしれないが、示したのだから、それはそれで敵ながらあっぱれといいたい。

 自ら死刑執行の現場に立ち会ったというのもいい。どうせすぐ法務大臣やめて、また死刑廃止運動やるわけだから、職権濫用かもしれないが、現場を見てから今後の自分の主義主張に活かすのはよいことだ。是非とも犯罪被害者の集会にも出てもらいたいものである。

 政治的パフォーマンスだとか、落選したのにどうとか、いろいろ声があるようだが、主義主張と宗教的信念の違いを見せつけてくれただけでも実に価値のある死刑執行命令だったと思う。

 まだあと2ヶ月近く在任するんだろうから、せめて、あと5人くらいサインしてから辞めて欲しいものだ。107人も確定死刑囚が居て、その大半が、誰がどう見たってこいつは死刑だってやつばかりなんだから。


 それにしても桑田のガンには驚いた。初期の食道ガンだというが、我々拓郎ファンにとってみれば、7年前の拓郎の肺ガンが真っ先に思い浮かぶ。別に桑田のファンでも、サザンのファンでもないが、何という因縁だろうと思う。

 拓郎が片肺を1/5切除した手術後の闘病生活中、桑田は自身が1985年(そうまさしく昨日のこのブログに書いたつま恋の前後に流れた引退説の時)に発表した、拓郎に引導を渡す歌「吉田拓郎の唄」の歌詞を変え、エールを送っていた。

 80年代前半、ブレークしたての桑田佳祐について、拓郎は自分の番組でも、桑田との対談番組でも桑田には勝てないと絶賛していた。桑田VS長渕事件の時も明らかに桑田の肩を持った。一方、桑田も先述の「吉田拓郎の唄」で拓郎への想いを表現し、引退の噂された拓郎にカツをを入れていた。その2人がともにガンになった。因縁と言わずにはいられない。

 拓郎もコンサートツアーの直前に健康診断を受けて早期発見された。片肺の1/5を切除し、3年後にはかぐや姫とつま恋をやった。今日まで再発していないので、ガンについてはもう大丈夫なのだろうと思う。桑田の食道ガンも内視鏡手術の出来そうなステージらしいので、おそらくシンガーとしても復帰出来るだろう。いや、是非元気に復帰して欲しい。拓郎のためにも。

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2010/07/27

吉田拓郎One Last Night in つま恋25周年

 1985年7月27日から28日にかけて、静岡のつま恋で「吉田拓郎One Last Night in つま恋」というオールナイトイベントが行われてから、ちょうど25年である。ちなみに、その前のつま恋から10年、篠島からは6年経っていた。

 大学3年生だった私は、6年前の篠島同様、中学の同級生で、私にとっての拓郎の師匠である大ちゃんと一緒に参加した。当時、塾講師のバイトをしていた私は夏期講習真っ只中のこの時期に無理矢理3日間の休みを取って、おまけに休み明け出勤で声が潰れていたため、大顰蹙を買ったのを鮮明に覚えている。

 この頃拓郎は特にラジオ番組を持っていなかったし、今みたいに「ぴあ」や「ローソンチケット」からメールが来る訳でもないので、どうやってコンサートの告知を知ったのか。今の情報溢れる時代にしてみれば不思議なのだが、考えてみれば、雑誌「ぴあ」の全盛期であり、あの当時は毎週ぴあを見て、コンサート情報を漁っていたような気がする。

 この年6月にはニューミュージック界の超豪華メンバーを集めて、国立競技場で「ALL TOGETHER NOW」というイベントがあり、拓郎は進行役をハイテンションで務めていた。一方、同じ6月に発売された当時の最新アルバム「俺が愛した馬鹿」では、拓郎自身を葬るかのようなジャケットと、いくつかの曲の歌詞から、このつま恋で拓郎は引退してしまうなんて噂も流れていた。

 いずれにせよ、拓郎のコンサートを見られるのはこれが最後かもしれないとの想いを抱き、コンサート前夜の7月26日夜、東京駅から東海道線で静岡に向かって出発した。つま恋や掛川駅近辺での徹夜は禁じられていたため、掛川に向かって行けるところまで行って、そこから始発で行こうと考え、結局我々は最終電車で島田駅に降り立った。

 同じ考えの奴はいるもので、島田駅周辺には明らかに地元の人間ではない若者が何人かたむろしていた。その中の埼玉から来たという、2つ年下の女の子2人組に声をかけ、駅前の居酒屋で時間を潰しながら盛り上がってしまい、結局始発を待たず、4人でタクシーに乗り、つま恋に向かう事になった。

 今地図を見ると、何でこんな距離をタクシーで行ってしまったのか、当時の金で1万何千円もかけてと思う。おまけに到着して、ここだと並んだ列は徹夜組が並んでいた列で、懲罰的に入場が後回しにされた列だった。掛川駅からのシャトルバスで来た連中が、どんどん前へ行く。自分の判断の悪さを悔やんだものである。

 そんなハプニングもありながら、開場までの行列で一緒になった1つ年上の京都から来た、確か村上さんというにいさんと5人組で、いざ会場へとなだれ込み、ステージ正面のミキサー席前に陣取ったのであった。

手元のチケットによれば午後1時の開場だったはずだが、炎天下かなりの列が出来ていたので、もう少し早く開場したような気がする。

 開演は午後7時。6時過ぎくらいから、客席のボルテージはどんどん上がり、開演30分程前に後藤由多加が登場して前説を始めると3万5千人が一体になっていき、タクローコールがそこら中から湧き上がった。そして、ついに開演のアナウンス、メンバーが次々とステージに上がってくる。普通ならいきなり1曲目が始まり、興奮も絶好調というところだが、ステージセンターに立った拓郎の第一声は

「愛してるぜ」

だった。

 スタッフや地元など関係者への感謝の言葉からメンバー紹介へと続き、「いくぞっ」と始まった1曲目は、「悲しいのは」だった。そういえば、つま恋の1曲目予想の話を拓郎がどこかでしていた。絶対に分からないだろうと言ってた覚えがある。ということは、当時やっぱりどこかでラジオ番組持ってたのかも。

 4部構成だったこのコンサートは、ファーストステージが拓郎オンステージ。
 セカンドステージは猫、愛奴、新六文銭、かぐや姫と再結成が続き、アルフィーの拓郎メドレー「スターズオン23」で締めくくるグループゲストのステージ。
 サードステージは山本コータローに始まり、杉田二郎、武田鉄矢、かまやつひろしとボーカリストのゲストが登場し、その後拓郎のワンマンへという展開。
 そしてラストステージは石川鷹彦、加藤和彦に始まり、次々入れ替わるかつて一緒にプレイしたミュージシャンのゲスト。と、超豪華なラインナップで、途中拓郎がMCで語ったように、拓郎自身がえらい気分のいいステージで、我々にしたって、高中正義と後藤次利がギターとベースで加わった「落陽」は圧巻としか言いようがなかった。

 終了予定は日の出直前の朝4時半だったが、アンコール含め残り5曲の「7月26日未明」のところで完全に夜が明けてしまった。拓郎も、「朝までやるぞってのはやって来たけど、朝過ぎてやるぞってのは、俺も経験ねえなあ」と笑っていた。「よし、いこう」と、声をかけて始まったラスト1曲前「俺が愛した馬鹿」は異様に気合いが入っていた。ラストナンバーの「又逢おうぜあばよ」では、感極まった拓郎が不覚の涙。アンコール冒頭では、「今あった事は忘れろよ、今あった事は忘れろよ。人に言うんじゃねえぞ、バカヤロー」と叫び、「この指とまれ」、「明日に向かって走れ」と意味深な選曲で全てが終わった。朝5時は完全に回っていたんじゃないか。

 コンサートが終わった後、掛川から新幹線で帰って来たのだが、会場から駅まで歩いたのか、シャトルバスに乗ったのか、しばらく寝ていたのか、完全に夢遊病者状態で覚えていない。ただ新幹線の中で録音していたテープを聞き返して、歌いまくる自分の声の大きさに呆然としたのを覚えている。だからせっかくフルで音源持ってるのにYouTubeなんかに今でもアップ出来ないんですよ。

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